【Dentis × DenPre特別企画】あの人に聞いてみた Vol.1、医療法人社団Zion理事長・木村文彦先生

【Dentis × DenPre特別企画】あの人に聞いてみた Vol.1、医療法人社団Zion理事長・木村文彦先生

2022年12月05日

Dentisと株式会社Dental Predictionの特別企画「あの人に聞いてみた」。歯科業界に関連する注目の人をお招きし、これまでの人生や歯科に対する考え方など、ゲストのお話を伺う連載企画です。Dentis CTO・平山 宗介(以下、平山)、株式会社Dental Prediction 代表取締役・宇野澤 元春(以下、宇野澤)、アシスタントが、さまざまな面からゲストを深掘りします。今回のアシスタントは、株式会社Dental Predictionのアンバサダー・Reinaさんが務めます。

第1回のゲストは、医療法人社団Zion/ワンラブデンタルクリニック・オールスマイルデンタルクリニックの理事長・木村 文彦先生です。歯科医師でありながら、音楽関係の活動や、歯科関連のベンチャー企業の支援など、多方面に活動をされる木村先生に「歯科医師になった背景」や「現在の活動を通して伝えたいこと」など、さまざまなお話を伺いました。

なお、インタビューの様子は動画視聴もできますので、気になる方は以下からぜひご覧ください。

逗子で過ごした少年時代



平山 木村先生は神奈川県逗子出身なんですね。

木村 はい。僕は生まれ育ちが逗子で、高校が横須賀なんですけど、海の近くで育ちました。中学くらいから海の家に行ったりしていましたね。

宇野澤 どんな少年時代をお過ごしになったんですか?

木村 小、中学校はどちらかというと大人しいほうでしたね。やっぱり小学校ってバスケとかサッカーとか、スポーツができる子がモテるじゃないですか。僕はどっちかっていうと、音楽とか美術が好きで、吹奏楽部だったんですよ。それで中学校からギターに目覚めました。エリック・クラプトンが好きでした。

当時、エリック・クラプトンが『I Shot The Sheriff』っていうボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのレゲエの曲をカバーしてたんですよね。その曲と僕の故郷である逗子、葉山といった南国のテイストがマッチしたんです。そこから南国の音楽をよく聴くようになって音楽にハマっていった……そんな少年時代でした。

宇野澤 逗子に、一度遊びに行かせていただいたんですよ。もう逗子での木村先生は「海の男」という感じで(笑)。すごくおしゃれな場所でしたね。

木村 カヌーをやっているんですよ。あとはシュノーケリングしたりね。

平山 毎週、海に行くんですか?

木村 最近、忙しいときは行ってないんですけど、ゴールデン・ウィークとか、暑すぎない日によく行きます。

宇野澤 葉山は夕日がキレイでしたね。で、木村先生はレストランもしていらっしゃるんですよね。

木村 はい。経営しているわけではないんですが、葉山で友人のレストランをお手伝いしています。

ライフスタイルの基礎を築いた歯学部時代


平山 そんな少年時代のあと、1996年に東京医科歯科大学の歯学部に入学されます。なんで歯学部に?

木村 僕、高校のときに「生物」の授業がすごく好きで……。生物のなかでも「人体」にすごく興味があったのが歯学部を目指したきっかけですね。ただ、一方で、音楽が好きで「ミュージシャンにもなりたいなぁ」と思っていたんです。

そのときにサエキけんぞうさんっていう、歯科医師とミュージシャンを両立されていた方がいたんですよ。そのライフスタイルに憧れて「歯科とミュージシャンって両方できるんじゃないか」と思って歯学部に進みました。

まぁそんな思いがありつつ、一方で真面目な話をしますと「健康は口から」と言いますので、健康のなかでも大事な口腔に関する技術を身に着けたいな、と思って歯学部に入学しました。

平山 ご両親が歯科医師ではなかったんですね。

宇野澤 てっきり親御さんを継いで……という流れかと思っていました。

木村 まったくですね。僕が家系で歯医者第一号です。

宇野澤 私は木村先生のことをセミナーの際に画面越しで存じ上げたんですが、歯科医師のなかでも異彩を放っていたんですよ(笑)。やっぱり音楽をされているから、オーラが出ていたんですね。

平山 ただ木村先生は臨床などにも真摯に取り組まれている、という噂をよく耳にしますね。

宇野澤 そこのギャップですよね。

木村 そうですね。昨今、臨床も頑張っています。やっぱり歯科の仕事って本当に面白いんで凝り性の先生は、のめり込んでいきますよね。臨床も楽しいですね。

歯科医師としてクリニック勤務



平山 歯学部を卒業された後は?

木村 その後は東京都や神奈川県にある医療法人で3年くらい勤めました。当時は研修医制度がなかったので、卒業してそのまま外に出てしまった、という感じでしたね。

うちの学年は8割くらい研究職として大学院に残ったんですよ。そんななか「現場に出ちゃおうぜ」と。悪い友達にそそのかされました(笑)。

宇野澤 クリニックで働かれるときって、どういう流れで決まったんですか? コネクションなどはありましたか?

木村 僕の場合は本当に偶然で、先輩や友人が紹介してくれて働き始めましたね。

平山 歯科医師の界隈において、そういった就職の仕方は一般的なんですか?

木村 「同じ大学の院長がいる」とか「先輩にリクルートされる」というのは多いと思いますね。

宇野澤 今でも多いですよね。部活の先輩とかバイト先とかに入るのは、どこか安心するんでしょうね。

平山 一般の企業は、会社に魅力を感じて入社するのが一般的ですけど、そういう勤め方はないんですか?

宇野澤 ありますよ。ありますけど「先輩や友だちの紹介」というパターンで決める先生は多いと思いますね。

木村 僕も何軒かスタッフ募集中のクリニックの見学をしたことがあるんですけど、結構体育会系の院長とかいて……。「お疲れっした!」みたいな(笑)。それで「ちょっと、合わないな」と思って見送ったりしたことはありますね。

人によるとは思いますが、僕は体育会系が苦手だったので、文化系のクリニックに勤めました。

平山 大変ですよね。友だちがいない人はどうするんですか?

宇野澤 そこが歯科の大きな問題ですね。良い医院はやっぱり人気があったりするので……。交友関係ってやっぱり大事ですよ。

平山 給料面の軸で就職活動はしないんですか?

木村 やっぱり最初は「給料高い」のは魅力的なんですけど、見学に行ってみると「やっべ、無理だ」ってなる……(笑)。

宇野澤 おっしゃる通り、給料が高いとそれだけ業務が大変なんですよね。そこが一般企業との違いですよね。僕らは技術職なので「ちゃんとトレーニングを教えてくれる」とか「院長先生が見てくれる」とか、(スキルアップ面を)お給料以上に重視している先生は多いと思いますよ。

平山 それって専門性で割れたりするんですか?「僕、インプラントやりたいからここに行きたい」みたいな

木村 ありますね。僕の場合は研修医じゃなかったので「まずは一般臨床がちゃんとできるように」ってことで、いちから全部やりましたね。

歯科医師を辞め、レゲエ発祥の地・ジャマイカへ


平山 そんな勤務医の後に、2005年からジャマイカに行かれるんですよね。どういう経緯なんですか?

木村 大学時代からずっと音楽が好きで、大学のときにスカ・レゲエを演奏するバンドを組んでいたんですよね。

それでレゲエ発祥の地であるジャマイカに行ってみたいな、と思っていたんですよ。で、ちょうどそのときに友人が「(ジャマイカの首都である)キングストンで日本料理屋をやるから働きに来ないか」って誘われたんですね。

それと、そのころ僕はレーベルからレコードを出すことになったんですよ。それで日本で録った歌をジャマイカで500枚プレスする、というミッションも兼ねてジャマイカに行きました。ワーキングホリデーとかへの憧れがあったこともあり、20代最後だったし、今しかないという気持ちもありましたね。

宇野澤 素朴な疑問なんですけど、まわりの人は止めませんでしたか?

木村 親とか血圧上がっちゃって「やめてくれ」と(笑)。でも今しかないんだと思ってましたね。

平山 歯科医としてのキャリアとして不安はなかったんですか?

木村 あんまりなかったですね。現地では語学学校に通いながら、ボブ・マーリーもレコーディングした「タフ・ゴング・スタジオ」ってところで、自分たちのレコードをプレスしてもらっていました。

ジャマイカの人って仕事がむちゃくちゃ遅いんですよ。何を聞いても「ノープロブレム」って言うんですけど「いつできるんだよ」って(笑)。ようやくレコードが出来上がって、日本に送って……。

ただ、ジャマイカでゆったりと人生を考えてみると「自分がやりたいことは本当にレゲエなのか」って思えてきたんですよ。レゲエって、奴隷としてアフリカからイギリスに連れてこられた方が「もう一度、故郷に帰ろう」と思って生まれた音楽なんです。だから「日本人の自分が歌ってもリアリティないな」と思ったんですよね。それで日本に帰ったら歯科医師をしたほうがいいな、と。

宇野澤 だいぶ迂回しましたね(笑)。でも、それくらいレゲエに対して真摯だったってことですね。

木村 「早く気付けよ」って感じなんですけどね。でも、そのときに自分が日本に戻ったら、ボブ・マーリーの曲からとった「ワンラブデンタルクリニック」というクリニックを開こう、と思ったんですよね。ちなみに医療法人Zionの「Zion」はレゲエ用語で「理想の都」という意味です。

横須賀で歯科医院開業



平山 そんな経緯があって、2009年に横須賀で「ワンラブデンタルクリニック」を開業されます。

木村 はい。友人に声をかけてもらったんですよね。家から近いところで開業したかったんで、ちょうどよかったです。

宇野澤 「ワンラブデンタルクリニック」に行ったことあるんですが、もう異国ですよ。英語でもコミュニケーションをとっていらっしゃる……。

平山 米軍の方も多い横須賀だからこそ、海外テイストを狙ったんですか?

木村 いえ、偶然的に海外テイストになった感じでした。ただ、ワンラブデンタルクリニックを出して6年後に、よりアメリカ人に特化した分院の「オールスマイルデンタルクリニック」を出しました。おっしゃる通り、横須賀は海外の方が多いので、インプラント、歯周病など、部屋ごとにテイストを分けて(海外の歯科のように)専門性をアピールしています。

宇野澤 こちらもお伺いしたんですが、クリニックの仕様が本当に海外の歯医者さんです。海外の方もいるし、仕様も海外テイストで、アメリカ・西海岸の雰囲気があって、おしゃれなんですよ。スタッフは何人くらいいるんですか?

木村 いまぜんぶを合わせると、40人くらいですね。保険のコーディネートをするスタッフなどもいます。米軍の方は日本の医療保険を持っていないので、いろいろ民間の保険を持っているんですね。そこでやり取りが必要になるので、トリートメントコーディネーターに対応をしてもらっています。

宇野澤 トリートメントコーディネーターは珍しいですよね。

木村 そうですね。あんまりないかな。

宇野澤 英語はどう教育しているんですか?

木村 うちで働く以上は使わないといけないので、多少はみんな練習しますけど、それ以上にトリートメントコーディネーターのアシストが大きいですね。だからあまり喋られなくても働けています。

平山 木村先生自身は、今も現場には出られているんですか?

木村 はい、出ています。臨床は週3回ですね。

平山 理事長というポジションにおいて現場に出るのは一般的なんですか?

宇野澤 分かれると思いますね。木村先生は理事長クラスでいうと、かなり出ているほうです。

木村 臨床は本当に楽しいので、ライフワークとして続けていきたいです。

今後の展望について


平山 今後の展望はあるんですか?

木村 そうですね。機会があれば、またレゲエの歌からとって3店舗目を出したいですね(笑)。でも、本当にこれって、ご縁だと思うんですよ。うちの両院の院長もご縁があって、勤めてくれているので「機会があれば」という感じです。

宇野澤 理事長という立場から、ドクターや助手さんを雇用するときの判断軸はありますか?

木村 僕、スタッフにレゲエの話とかするんですよ。医院で自分のミュージックビデオとか流していたりとか(笑)。かなり独自のカラーが強いんですよね。そのカルチャーに共感してくれる方であれば、ドクターでも助手さんでも衛生士さんでも採用します。

宇野澤 そこはフィーリングというか、「うちのカルチャーを受け入れてくれれば」という感じなんですね。

木村 そうですね。

大学院に再入学



平山 それと、2021年に大学院に再入学されたということで……。どうして入学したんですか?

木村 僕、もともと海外が好きで、海外の学会に出席することもよくあったんですよ。だからわかるんですが、アメリカとかヨーロッパの学会ってすごい派手で面白いんですよね。自分としても「海外の壇上で講演とかしてみたいな」って考えていたんですよ。

ただ、僕は今まで研究をしたことがなかったので、これからは「研究をポートフォリオの一部として加えたいな」と思って大学院に入学しました。

宇野澤 すごく意外でした。木村先生ってアカデミックなイメージがすごく強かったんですよ。なので、大学で研究していらっしゃったのかな、と思っていたんですよね。だからこれから初めて研究されることが意外で……。

平山 こうしたクリニックで働いてから、大学院に入るっていうのは、一般的にあるんですか?

木村 あんまりないかもしれないです。外で働いちゃうと大学に戻るチャンスもないですからね。面接のときに教授たちに「この歳で珍しいね」って言われましたよ(笑)。でもいくつになっても学びは得たいですから。あと、今はコロナで授業がオンラインなので両立しやすいですね。

平山 やっぱりあらためて大学院での学びはあるものですか?

木村 あります。

宇野澤 基本、歯医者さんって臨床とアカデミックのどちらかに幹を置いて、そこから派生することが多いんですよ。

だから臨床でやったことが大学院で活かされる部分がありますし、逆もしかりですね。リカレントは国も推奨していますし「歯医者さんになってからのキャリア」のほうが圧倒的に長いですから、今後は木村先生のようなキャリアを選ぶドクターも増えてくるでしょうね。

ベンチャー企業支援


平山 それとベンチャー支援も進めていらっしゃるとのことで。そもそもメドレーとDental Predictionを引き合わせていただいたのも木村先生でした。この活動はどういったきっかけで?

木村 きっかけは「何か歯科医の問題にアプローチできることはないか」と思ったことです。例えばカルテが紙だったり、予約簿が紙だったり、患者さんがレントゲンを診られなかったりとか、歯科はもっとデジタル化が進む余地があるんですよね。そんな状況で「自分にも何かDXにつながることができるんじゃないか」と思い、始めました。

宇野澤 木村先生みたいに歯科医の内部からデジタル化を普及してくださる先生がいると、ベンチャー企業としても一石投じられて、いい波ができるんじゃないかなと思いますね。すごく大事な存在ですね。

平山 医科のベンチャーは増えてきたと思うんですけど、歯科は最近のことですよね。

宇野澤 そうですよね。本当に少なくて……。従来の業務に慣れているから、あまり変化が起きない業界だと思うんですよね。そんななか、木村先生のような変化に対して前向きに活動されている方がいるとありがたいです。

平山 そんないろんな経験をしている木村先生ですが、10年後は何をしていると思いますか?

木村 今までジャマイカに行ったり、横須賀で歯科医院を運営したりしているのも、いろんなきっかけをくれた人のおかげで実現したと思うんですよね。「点と点が線になる」というか、今までの活動が無駄じゃなかったなって思うんです。だからこれからも、今までやってきたことをつなげていきたいですし、「機会」を周りの人に与えられたらなって思います。

平山 若手の歯科従事者の方も見ていると思いますので、ぜひメッセージをお願いします。

木村 今日はメッセージをボブ・マーリーの「Redemption Song」に乗せて伝えたいと思います。この曲は「いろんな人を救った歌」といわれている歌です。これから活躍する歯科医師、歯科衛生士、歯科助手のみなさんに「歯科の仕事は楽しいよ」ということを伝えたいと思います。



※インタビューの様子は動画視聴もできますので、気になる方はぜひご覧ください。